YAMADA'S
“SYOUBU-MESHI”山田の勝負メシ
演出からスイッチングまでこなす究極の経営者 アントニオ猪木
おはなしをお聞きしていると、全日があって、新日があってというプロレスの歴史の中で、やはり猪木さんの偉大さを感じますね。
そうですね。猪木さん自身がこれでいいという人ではなくて、常に新しいことに挑戦していましたからね。
猪木さんは上昇志向を持った究極の経営者なんですね。
動物的な勘というのか、常に危機感を持っていましたね。猪木さんが全日を除名されて、新日を立ち上げた翌日にブルドーザーで庭をすべて更地にして、そこに道場を立てましたから。

判断力と判断力が素晴らしいんですね。
猪木さんはいつも試合がどう見えているかを考えていて、マンネリにならないように工夫していましたね。テレビの視聴率が20%だった全盛期のときでも、猪木さん自身が中継をモニターで見て、「なんでこんなアングルで撮ってるんだ!」と怒ってましたから。備え付けのカメラが数台とハンディカメラが数台あったんですけど、カメラが動きを追いきれてなかったりすると、猪木さんが細かく指示を出すんです。
演出家ですね!
そうなんですよ。だからよく猪木さんはね、会場の外にある中継車にいましたね。そこでスイッチングをもするんです(笑)
それはすごい!(笑)
猪木さんはそういうところまで、関わってましたね。お客さんの入りがあまりよくないときに、テレビに映るところに空席が見えないように、お客さんを動かすくらい、細部まで神経を行き渡らせてましたね。
猪木さんは試合の演出もしつつ、選挙にも出られて。
そうですね。猪木さんは常々、誰もやっていないことをやりたいと言っていましたからね。応援演説にも行きましたよ!猪木さんが掲げるテーマが、やはり普通の政治家には掲げられないような大きなものでしたからね。それにみんなが憧れて、今もプロレスラーから政界に進出する人は多いです。
トップ当選したときは、プロレス好きとしてすごく感動しました。
ダントツの票数で勝ちましたね。投票用紙に本当は「猪木寛至」って書かないといけなかったんですけど、結構な数の人が「アントニオ猪木」と書いて、無効票になってたみたいですけどね(笑)
国会で馳浩さんと猪木さんが対峙したときなんて、プロレスファンとしてちょっと泣きそうになりました。国会の予算委員会で、「元気ですかー!」と言って怒られていたのもよかったです(笑)
それが猪木さんなんですよ。普通我々だと国会でこんなことやっちゃダメだろうと気にすることでも、猪木さんはやってみてあとから起きることを処理すればいいんだと思ってますからね。
それが猪木さんの原点でもあるんでしょうね。新日の旗揚げやモハメドアリとの試合もそうですよね。
思ったことを実現させてしまう力もすごいですし、何より発想力が素晴らしいですよね。
その頃に、新日のライオンマークが誕生したんですよね?
新日が旗揚げするぞ!というときに社名やロゴマークがいるだろうということで、私と山本小鉄さんで作りました。全日は日本プロレスから引き継いだ王冠マークがありましたけど、新日は何もなかったので、2人でさあどうしようかって。ちゃんこ食べながら考えていたから、どんぶりを画用紙の上に置いて丸を書いてね。ライオンマークはそこから始まったんですよ。 山本さんは虎がいいんじゃないかっていってたんですけど、動物の王様はライオンだろうということになりました。私たちが手書きしたものをデザイナーに持っていって、あのマークにしてもらいました。色も何パターンか考えてもらいましたね。
今からでもデザイン料をもらわないといけないですね(笑)
当時書いたものが残っていればなあ。価値がついて『何でも鑑定団』に出れたかもしれないな(笑)
何百万も何千万もしますよね!それから10年くらい経って、タイガーマスクが登場した記憶があります。
僕が海外にいた頃なので、それくらいの時期ですね。長州がいて、前田と佐山、山崎、高田と続いていきましたね。当時テレビ朝日の視聴率が20%以上の頃ですからね。僕らも1ヶ月に1回くらいはテレビ局に打ち合わせに行くんですけど、そうすると必ず視聴率の紙が貼ってあるんです。いつも『ワールドプロレスリング』がダントツ1位でしたね。それに続いて、『太陽に吠えろ』があったり。