山田の勝負メシプロジェクト始動!!

YAMADA'S
“SYOUBU-MESHI”
山田の勝負メシ

リングに上がり続けることが、人生のモチベーション

年間で260試合していたころは、どのようにして身体のメンテナンスやリカバリーをされていたんですか?

リカバリーやケアなんて当時はしていなかったですね。だから腰を痛めてしまったんだと思います。忙しさもあってそこまで気が回らなかったですね。若さでカバーしていたというのもあるでしょうね。今はどの団体にもだいたいトレーナーがついていますが、我々の頃は誰もいなかったです。レスラーが痛いというのは、恥とされていましたからね。レスラーでも痛いものは痛いんですよ!(笑)

それは山本さんの根性論ですか?

そう、山本さんの根性論が本当によくない!足が痛いので練習を休ませてくださいなんて言うと、「馬鹿野郎!スクワットをすれば治る!」とかそんなことを言われていましたね(笑) プロ人生50年過ぎましたけど、その半分くらいはヘルニアですからね。連戦で蓄積した疲労がどこかで爆発してしまって、1年3ヶ月休養しました。やっぱり身体のケアは大事ですね。

武藤さんも怪我をされていますが、リングに上がると普通に動いていて、プロの根性を感じました。

世代的に、痛くない=完治なんですよ(笑)

名言ですね(笑)

私も10年前に腰の手術をしたんですが、手術をしたら痛みは取れるんですよ。だから痛くないから治ったと思ってしまったんだけど、病院の先生からはもっと長い期間安静にしていないと完治しませんと言われて、そういうものなのかと驚きましたね。

プロレスラーの全治何ヶ月って短い気がしてたんですけど、そういうことだったんですね(笑)

どんどんスケジュールが決まっていくので、そこに合わせて自分の身体が自然と調整していくんだと思います。気持ちの強さでなんか乗り切ってしまうんですよね。

藤波氏と山田社長
インタビュー前にしっかりと鰻プロテインを注入する
藤波氏と山田社長。東京飯田橋「山田の鰻」

じゃないと当時の新日の試合日程なんてこなせないですよね。

今日なんて鰻が2尾も乗った鰻重を食べさせてもらいましたので、気持ち的にはアンドレだって投げられますよ!(笑)

最高の名言をありがとうございます...!
最後に藤波さんが今もなお現役の選手であり続けられる秘訣を教えていただけますか?

自分の中で何か目標を掲げるのがいいでしょうね。僕は12月に69歳になりますが、70歳まではこの肉体を維持しながら現役でいたいと思っています。そしてどんどんスケジュールを決めて動いていくことですね。我々の世代はスケジュールが空いていると不安になる人が多いと思うんですよ。

それは新日のベンチャー魂があるからですね。でもこれはやっぱりプロレスがお好きだから続けられるんですよね。

その通りですね。僕にとってプロレスは天職だと思っているんです。プロレスに出会っていなかったら、今頃どんな人生を歩んでいたのか想像も付かないですね。プロレスによって生かされています。試合に出場し続けることは難しくなってしまったとしても、何らかの形で一生リングに上がっていたいですね。これから何か違う仕事をしていくにしても、リングに上がることがいいモチベーションになりますから。リングを背負って歩きたいくらいです。

12月の試合、会場に鰻重やお弁当を持っていきます!
藤波さん、本日はお忙しいところ、貴重なおはなしをありがとうございました!

ファイティングポーズ
藤波 辰爾

PROFESSIONAL WRESTLING 藤波 辰爾 選手 TATSUMI FUJINAMI

1970年6月、16歳で日本プロレスに入門。翌1971年5月9日デビュー。
72年3月、新日本プロレス旗揚げ戦の第1試合に出場。同年12月に開催された第1回カールゴッチ杯で優勝し、75年6月に海外遠征へ出発。欧州や米国、メキシコ各国を転戦。カール・ゴッチ氏のもとで修行を積み、 78年1月にWWWFジュニア・ヘビー級王座を獲得した。81年末にヘビー級転向を宣言。飛龍十番勝負を戦い続け、WWFインターナショナル・ヘビー級王座をも獲得。翌82年10月にメキシコ遠征から帰国した長州力に挑発される形で、ライバル抗争に突入。両雄の戦いは「名勝負数え唄」と呼ばれ、スピーディな展開でヘビー級のプロレスにも変化を与えた。 新日本プロレスのエースとして活躍し、95年10月、自主興行『無我』を旗揚げ。99年6月からは5年間に渡り新日本プロレスの代表取締役社長を務めた。 06年6月30日付けで新日本を退団し、同年8月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げ。 08年1月より団体名を『ドラディション』へと変更した。11年5月にレスラー生活40周年、 13年には還暦を迎え、 15年3月には日本人選手2人目となる (一人目はアントニオ猪木) 米国 WWEの殿堂入りを果たした。 17年にはデビュー45周年を迎え、記念大会を開催。 プロレス生活49年を迎えた現在も、 他団体に積極的に参戦するなど、現役選手として活躍中。

出典:藤波辰爾 選手プロフィール ドラディション公式サイト

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