山田の勝負メシプロジェクト始動!!

YAMADA'S
“SYOUBU-MESHI”
山田の勝負メシ

オリンピック出場後のドイツ留学が
人生のターニングポイントに

対談

メダルをとったあとに燃え尽きてしまうようなことはなかったんですか?

私はオリンピックを目指すときに、まず2度は目指さないと決めて挑みました。オリンピック出場を目指していたころを振り返ってみると、いろいろなものをそぎ落として、常に緊張状態で生きていたなと思います。私の場合は5歳からオリンピックが終わる24歳まで休んだことがないと言ってもいいくらい、毎日をバドミントンとともに過ごしてきました。だからこそ、ロンドンオリンピックを目指したときに、ロンドンオリンピックに出場できてもできなくても、そこで選手生活を終わりにしようと決めて挑んだので、結果が出せたのではないかなと思います。

優勝をしたあとに現役を続行するペアは少ないんですか?

高橋・松友ペアは金メダルを獲得したあとも、国内の試合に出続けていました。その精神力って本当にすごいことだと思います。頂点を極めたあとも日本代表でプレーをし続けている2人の姿を下の世代が見て育っていく環境は、バドミントン界にとってとても大きな貢献だと思っています。

2人が業界にいることで、次世代にとってはとても刺激的な環境ですよね。一度休業したり、引退したりする選手もいますが、少し競技と距離を置くことで、またチャレンジしたいという気持ちが芽生えるということなんですかね?

私の場合は休まないと無理でしたね。途中25歳〜27歳まで少し休んで、28歳からまた東京オリンピックを目指そうと思えたのは、休業した3年間があったからだと思います。そうじゃないと復帰したいなんて絶対に思わないし、絶対に思えなかったですね。

海外に留学をされていたと聞いていますが、そのときはどんな生活をされていたんですか?

中学生のころからずっと海外で生活してみたいという夢があったので、オリンピックが終わったタイミングでドイツに留学をしました。ただ留学するよりも新しいことにチャレンジしてみようと思って、日本人初のヨーロッパリーグ参戦に挑みました。それまでの生活はバドミントンが8〜9割を占めていたんですが、ドイツに行ってからはバドミントンが5割程になって、残りの5割がプライベート。この割合は私自身にとって初めての環境で、語学学校へ通ったり、旅行をしたりと思うがままに過ごせた貴重な時間になりました。

藤井 瑞希 選手 藤井 瑞希 選手

その途中でまたバドミントンをやりたいと思って、復帰を決意されたんですか?

ドイツにいる間、「もう次の年で引退しよう」と思っていたんですが、そのころ地元の熊本で地震が起きました。ドイツにいると直接ボランティアに行くことも、救援物資を送ることもできない状況で…
自分がとてものんきに生きているというか、ストレスのない状況下にいて「今あなたは一生懸命生きているの?」と問われたときに、熊本のみなさんに対して、胸を張って「はい」と言えない自分に強い違和感を感じました。
じゃあ私には何ができるだろうと考えた結果、自分にはバドミントンしかないなって。全力でもう一度オリンピックに挑戦してみよう!とチャレンジすることで、みなさんに恥ずかしくない生き方ができるんじゃないかなと思って復帰を決めました。
でもロンドンオリンピックに行くまでの、5年間くらいは毎日が本当に辛かったですね…逃げたい、逃げられない、やらなきゃいけない、勝たなきゃいけないの繰り返しで

逃げたいと思ったときに逃げ出さない気持ちの強さが、一番大事なんでしょうね

本当に逃げようと思えば逃げ出せるので、気持ちは絶対に大事ですね。私は5歳からバドミントンを始めて、ずっと期待されて生きてきたので苦しい部分もありました。自分自身にキツイ練習やトレーニングにちゃんと向き合えるのかと、何度も問いただしてちゃんと死ぬ気で頑張れるという覚悟を決めたので復帰しました。

藤井 瑞希 選手

今回も「引退したら何をしたいですか?」とかよく聞かれるんじゃないですか?

よく聞かれますね。でも私の場合は、ドイツに留学した3年間があるので、今はまったくそんなことは思わずに、「働きたい!誰かの役に立ちたい!」と思う気持ちが強いです。だから今マネージャーにもどんどん仕事を入れてくださいって言っています(笑)

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