山田の勝負メシプロジェクト始動!!

YAMADA'S
“SYOUBU-MESHI”
山田の勝負メシ

引退後のフィールドは自分がわくわくする仕事を

先ほど引退したいと思いながら5年間戦っていたというおはなしがありましたが、当時どうやってメンタルを保っていたんですか?

社会人1年目のときに、シングルスだったんですけど、初めてスランプに陥ってしまってそのときに一番の支えになったのが家族の存在でした。当時は実家が近かったので、試合に負けて帰ってくる私に、何も聞かずに美味しいごはんを出してくれたり、ドライブに連れて行ってくれたりとそういうリフレッシュできる空間を作ってくれる家族のためにも頑張ろうと思えました。

そしてもうひとつのきっかけは、その次の年に所属していたチームに垣岩令佳が来てくれて、ダブルスで再出発をすることができたことですね。垣岩がすごく努力家で頑張り屋さんで、素直でいい子で…!そんなパートナーや家族のためにもロンドンオリンピックまでは頑張ろう、でもそれ以降はもう無理だという気持ちで期間を決めて追い込みました。

期限を決めて頑張るという方法は有効なのかもしれないですね。

年齢やタイミングを見ていつ海外に出るかも考えましたし、ゴール地点から逆算できるのはとてもいいことだと思います。結局日本にいても得られるものは少ないですし、メダリストとして自由がきくことがあまり好きじゃなかったというのはありましたね。自分の学びや刺激が多くないと楽しくないと思ってしまうタイプなので

専務

私たちの仕事も同じで、ある程度のところでみんな満足してしまいがちなんですよね。うちの会社はいい意味でゴールがない。昨年が山田水産の創立45周年だったんですけど、パーティーの最中社長がインタビューに答えるシーンがあって、「今会社は何合目ですか?」という問いに対して、「やっと5合目まで来たかな」って言われたときに、みんなでずっこけました(笑) これだけ頑張ってもまだ5合目なのかと思いましたけど、5合目ということはまだそこから先があるわけだから頑張ろうと思えるんですよね。一番怖いのは現状に満足することなんだなと、今のおはなしを伺っていて感じました。

私は選手として本当に心から満足しているので、これから何をやりたいかと問われても正直見当たらないんですよ。昨年の夏、東京オリンピック出場への道が途絶えたときにバドミントンを続けて、後輩たちを育てるという選択肢もあったんですけど、自分の中で満足いった環境の中に身を置いたときに得るものが少ないなと思ってしまったんです。
それだったらまずはバドミントンを辞めて、新しい世界で何か自分ができることにチャレンジする方が、自分自身が楽しいかなと思ったことで決断をすることができました。これから挑む仕事も自分自身の結果だけで満足するものではなく、新しいことを発見しながら学んでいけるように頑張りたいと思っています。

藤井選手がこれから何にチャレンジしてもきっと上手くいくと思いますよ!何か一生懸命になれるものにはやく出会えるといいですね。

そうなんです!今休みの日があると、すごく不安になってしまってマネージャーにスケジュールを確認しています(笑)

藤井 瑞希 選手と専務

最近はどんなお仕事にチャレンジしているんですか?

試合の解説やイベント、バドミントンの講習会、講演会です。現場に行って子どもたちにバドミントンを教えることもあるんですけど、目がキラキラ輝いているのを見ると、来てよかったなと思えて幸せな気持ちになりますね!

今後はもっと活躍の幅が広がっていきそうですね

今後私は何ができるか、何をしていきたいかということをいつも考えています。スポーツや身体を動かすことの大切さを子どもたちや高齢者の方にお伝えしていけるといいなと思っているので、そこの課題と真摯に向き合っていきたいですね。
あとはバドミントンを引退した選手たちにとって、新たなセカンドライフの選択肢を作りたいと思っています。スポーツをしていると何かしらの「人間力」はきちんと培われていくと思っていて、それがスポーツだけじゃなくて一般社会でも活かせると思うので、そういったスポーツの良い面をもっと次世代に継承していきたいなと思っています。

ロンドンオリンピックのおはなしをお聞きして、2020年の東京オリンピックがさらに楽しみになりました。日本代表選手に「勝負メシ」うなぎを届けられるようにこれからも一緒に頑張りましょう!今回はお忙しいところ、貴重なおはなしをありがとうございました!

藤井 瑞希

BADMINTON 藤井 瑞希 選手 MIZUKI FUJII

姉二人の影響を受け、5歳よりバドミントンを始める。以来、小学生から頭角を現し、高校3年時には当時25年振りとなるインターハイ3冠を達成。2012年ロンドン五輪において、粘り強い戦いぶりで決勝に進み、日本バドミントン界初のメダリストになる。2014年からはヨーロッパリーグ参戦(日本人初)を表明し、ドイツで2シーズン、イギリスで1シーズン戦った。2016年に故郷熊本を襲った震災をきっかけに国内への選手復帰を決意。地元企業である再春館製薬所他、複数社とスポンサー契約を締結し、プロバドミントン選手として活動。そして、垣岩選手とのフジカキペアを再結成し、2020年東京オリンピックを目指していたが、2018年9月に今シーズン限り(2019年2月)での現役引退を発表した。

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